悟性寺(ごしょうじ)あと ー島津久豊の墓ー


 写真A 
    写真@
 

 穆佐の小山田集会所のうらにある階段を上がったとこところにたくさんの墓石が立っています。  この墓石群のある土地は、昔、悟性寺という寺があったところで、穆佐にすむ武士たちの墓地になっていました。この場所に、その武士たちをまとめていた島津家第8代島津久豊の墓があります。
 写真@が久豊の墓石です。先に述べた階段を上がると、正面おくに見えます。島津家の墓は、独特の形になっており,人の目をひきつけます。このうらの竹山を少し登ると、えい骨塔といわれる石碑もあり、おがむための墓石と区別をしております。(写真A)
 久豊は、1425年に51才で亡くなっています。久豊の墓はそれから約430年後の1857年(江戸時代)に島津氏によってつくられました。
また、この墓地には,高木兼寛の剣術の先生だった「阿万孫兵衛」の一族の墓石と学問の先生だった「中村啓助」一族の墓もあります。写真Bが阿万家、写真Cが中村家のです。




写真左B 写真下C


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