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日誌


2016/10/25

島津啓次郎の像

| by WEB担当者
正門から入って左に島津啓次郎の胸像があります。
本校を訪れた方はご存じだろうと思います。


島津啓次郎とは、どのような人なのか、資料によると次のように記されています。

(以下引用)
旧佐土原藩主の子で、佐土原に生まれた。3歳で寺社奉行町田宗七郎の養子となったが、1873(明治6)年の留学中、修学資格の変更で元の島津に戻った。10歳になると鹿児島に遊学、翌年には東京の勝海舟の塾に入って、世界へ眼を開くきっかけを与えられた。1870(同3)年、海舟のすすめもあって、藩費留学生として12歳の若さで米国に渡った。滞米生活7ヵ年、その間アナポリス、ニューハーベン、グリンブルドで英仏語を中心に文学、数学を学んだ
 帰国から数日後、東北地方の旅に出て、戌辰戦争の旧佐土原藩戦没者の墓に参り霊を弔っている。その後、華族会館から華族子弟の教育意見を求められるが、教育の自由平等とはほど遠い学校(学習院)の設立計画に反対し決別した。望郷の思いを抑えきれず、海舟に書いてもらった西郷隆盛あての紹介状を懐に故郷の広瀬に帰った。すぐに同志とはかり、遊惰にながれる青年の教育事業に取り組んだ。そこではアメリカで学んだ自由民主の思想が新鮮な知識として伝えられた。
 3ヵ月後、西南戦争が起こると、有司専制(藩閥のエリートが独断的に政治を行うこと)からの解放をめざし、父や兄の説得をも押し切り「吾人の為さんと欲する所を為すのみ」として佐土原の同志200余人とともに参戦した。西郷は若く有為な人材ゆえに参軍を断ったが、島津啓次郎のひきいる佐土原隊は熊本の各地を転戦した。
 途中、単身上京して事態収拾の計画をたてたが成功せず、再度本隊と合流して可愛岳(えのたけ)、三田井、椎葉、米良、小林を経て1877(同10)年9月24日、西郷らとともに鹿児島の城山で21歳の生涯を終えた。(徳永 孝一)
(引用終わり)


本校では、毎年6月に啓次郎の日を設け、郷土の偉人島津啓次郎について学んでいます。


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